2015年08月31日

<ご先祖様>NO9

<ご先祖様> NO9

貸してもらえるようになった手(チョキ)るんるん

家系図と地図を含む古文書ぴかぴか(新しい)

岸上(きしのうえ)の 山田さんのご自宅から出てきたそうだ。わーい(嬉しい顔)

この山田さんぴかぴか(新しい)

お殿様が御前堂を通るときに足足ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

立ち寄られた家だと聞いたことがある。家

その家の娘さんが、私のお弟子さんだった。かわいい

その縁で自宅にお伺いしたこともある。足足

お殿様が、立ち寄られるということで

庭に お風呂いい気分(温泉)(当時は珍らしいタイルのお風呂)を

作ったということを

父から何度となく聞かされていた。耳耳

母からは

世が世なら・・・ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

「気楽に遊びに行けるような 家でなない」

と言われた。

やはり 貧乏人の子はバッド(下向き矢印)

お金持ちの家には、遊びに行っては駄目だったのだろう。パンチ

今、師弟関係はないけれどかわいい

タケノコが出てくる時期になると黒ハート

沢山掘って 持ってきてくれる。車(セダン)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

湯がくのに必要なレストラン

米ぬかまで添えてハートたち(複数ハート)るんるん


貧乏人でもバッド(下向き矢印) なんでもかまわないわーい(嬉しい顔)

遊びにいった。るんるんるんるん

ほんとに、お風呂がお庭にあった。いい気分(温泉)目

かなり、崩れていたけれどexclamation×2

やはり崩れた、お籠もあった。exclamation×2

誰が乗ったものだろうぴかぴか(新しい)

蔵を片付けたら、

きっと色々出てくるだろう。

そこから「出てきた 家系図」をぴかぴか(新しい)

歴史の研究をしている方が

貸してほしいと持ち帰り・・・ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

その後 行方不明とか。がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)

しかし

写しが残っているという。手(チョキ)

大昔の地図(御前道)までもが存在するという。ぴかぴか(新しい)

私にも見せていただけることになった。るんるんるんるん

だけど

何分古文書

読むことが・・・・・5

辞書を片手に解読を試みたけれど

途中で、断念したと言われた。もうやだ〜(悲しい顔)


お墓の近くにあったと言われる

「本太城の出城」=「光田城」

城があったなら、人がいたということわーい(嬉しい顔)

お墓に行く途中の山中に足足

貝塚があっても不思議ではない。exclamation×2

本太城の築城時期は不明

室町時代中期の文明14年(1482年)には、

源政繩・政吉兄弟が居城し、本荘八幡宮を襲撃している。

グーグル地図で見ると目目

この本太城の出城とされているのが

「光田城」のようだ。exclamation×2

このブログを書いている途中で

アッという間に

ご先祖様が、見えてきた。ハートたち(複数ハート)

平家ではなく、「源氏」側の子孫だということが判明。exclamation×2

平家の落人だと思っていたことに失恋

ご先祖様が

ちっ(怒った顔)怒ったのかもしれない!パンチパンチ

源氏だったのだからexclamation×2

それも名のある武将exclamation×2

真逆だった爆弾

まあ、ご先祖様は、

怒りはしないだろうけれどちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)

あまりにもトンチンカンの推測に失恋もうやだ〜(悲しい顔)

これこれ 間違っているぞexclamation×2パンチパンチ

だったのかなわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

思い描いていたひらめき

私の

予想はひらめき

見事に

外れた。exclamation×2

カラオケお話は 続きます。


posted by まぁみちゃん at 08:16| Comment(0) | 独り言

2015年08月30日

<ご先祖様>NO8

<ご先祖様>NO8

光本先生の話を聞いたことのある耳耳お弟子さんが

「とんでもいないexclamation×2 由緒正しきお家柄だと聞いた。」

と 教えてくれた。わーい(嬉しい顔)

「えっ?そんな 落人(おちゅうど)で水飲み百姓だと思う。」

「だって前田は、皆痩せっぽちばかりバッド(下向き矢印)

よほど貧しくてもうやだ〜(悲しい顔) 貧しくて・・・ふらふら

太れない遺伝子ができ上がったのだろう。」もうやだ〜(悲しい顔)

と ほんとに思っていた。

太っているお嫁さんが来ても わーい(嬉しい顔)

生まれた子供は 皆 細いexclamationバッド(下向き矢印)

ようするに

食べるものがなく、レストランバッド(下向き矢印) ほそ〜いもうやだ〜(悲しい顔)

貧しくて、太れなかった遺伝子が

数百年受け継がれているのかとも思っていた。わーい(嬉しい顔)

私もその一人だった。わーい(嬉しい顔)
※なぜか?過去形もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)

この光本先生

お弟子さんのおじさんに当たる方。

善は急げexclamation揺れるハート

ということで

おじさんに話をうかがえないものかと

早速お弟子さんに電話した。携帯電話

おじさんの了解を得て手(チョキ)

翌日電話で話をさせてもらった。電話

その結果exclamation×2

「光田大善」という山城の城主が、

「光本・光田・前田」の先祖ぴかぴか(新しい)

お墓参りに通る道を曲らずにまっすぐ進むと

今は石垣が残っているだけだけどもうやだ〜(悲しい顔)

光田城というお城の城主ぴかぴか(新しい)

その方のお墓が 本家の少し上あたりにあるという。

毎年光本家では、供養をしているそうだ。ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

御屋敷跡があり、その横には

相撲を取っていた跡、つまり

土俵があったという。手(チョキ)

(この方は、子供の頃に見たことがあったそうだ。
 95歳になる母に、聞いたら たしかにあったという。)

「光田大善」をさかのぼると右斜め上

「児島高徳」に行きつくという。ぴかぴか(新しい)

児島高徳の話は子供の頃から耳にしていた。耳耳

尋常高等小学校で歌っていたのだろうか?

「児島高徳」という唱歌がある。

母の実家が真庭郡落合

その母の実家が(私の祖母) 醍醐桜で有名なところ

sakura.jpg


※元弘2年(1,332年)後醍醐天皇が隠岐配流の際、

この桜を見て賞賛したといわれている。

樹齢について文献では700年が多いですが、

地元の説では1,000年とされている桜。


母の実家の跡取りのお嫁さんは

後醍醐天皇が隠岐に流される途中で休憩した時

箸をたてて・・・・

の石碑がお嫁さんの実家の敷地角にある。ぴかぴか(新しい)

後醍醐天皇は、元弘の乱(1331)に隠岐に流される途中岡山県を通過

児島高徳は、備前市三石、山陽道舟坂山(ふなさかやま)に潜伏し、

後醍醐天皇の隠岐護送行列待った。

しかしいつまでたっても行列はやって来ない。

行列は播磨から美作国へ進んでいた。

美作国の杉坂峠に変更して、道を急いだが、

すでに行列はそこを通過してしまっていた。

高徳の軍勢は少ないので、平地で天皇を奪い返すことが出来ない
 
児島高徳は単身、天皇の宿泊する院庄の館の庭先、

桜の幹を削り、そこに漢詩を一句書いた。

「天莫空勾銭 時非無范蠡」

翌朝、これを見つけた警護の武士たちは意味が分からない。

天皇だけが、その意味を理解された。

そして、後醍醐天皇は、隠岐に向かわれた。

というお話。


そういえば我が家の息子のお嫁さんは
 
鳥取県の「名和」というところからお嫁に来ている。

ご挨拶に行ったときに、お嫁さんのお爺さんが

すぐ近くの「名和神社」に案内してくれ

名和神社の説明もしてくれた。

ynawa.jpg


後醍醐天皇を隠岐島から迎え、

一族郎党を率いて船上山に立てこもり、

王事に奮戦した南朝の忠臣・名和長年公

以下一族42名の英魂を祀った元別格官弊社。

神社の規模としては鳥取県内でも最大級


なんだか 後醍醐天皇と 縁が深くなってきた。


naea.jpg

カラオケ話は戻って

児島高徳のお墓もあるのだと教えてくれた.

児島高徳の墓といわれているものは、全国に数ヶ所あるという。

どれが本当の墓なのか?

定かではない。

児島高徳は、備前の国

児島が出身とされている。わーい(嬉しい顔)

私が

「先祖は、源氏か平家の落人かと思っていた。」

と 言ったら

「とんでもない 落人ではない。

源氏! 源氏の由緒正しき家柄。」

と 言われた。パンチパンチ


証拠となる家系図が存在するらしい。

貸していただけることになった。揺れるハート

カラオケお話はつづきます。

posted by まぁみちゃん at 09:51| Comment(0) | 独り言

2015年08月29日

<ご先祖様> NO7

<ご先祖様> NO7

御前道の光本先生から

(美術の先生で、お父さんは小学校の校長先生だった。)

御前道の、光田・光本・前田の先祖の話しを聞いたという

お弟子さんがいた。耳耳

元は[光田]だったそうだわーい(嬉しい顔)

光田ばかりなので

苗字を分けたとき、

(光本・光田・前田と苗字が別れる時)

前田は、

光田、光本より もっと前だexclamation×2

(古い)ということから

「まえだ!」 で「前田」になったという。わーい(嬉しい顔)


※ほとんどの「前田」は、「まえだ」 と読む

しかし 御前道の「前田」は

まえた」なのです。

濁らない。exclamation×2


どうりで

前に田んぼがないのに

「前田」の苗字になったのだろうかと不思議に思っていた。exclamation&question

「前に田んぼがある で 前田」

だと思っていた。ひらめき


40年ほど前、住民票をとった時

ふり仮名が 「まえだ」になっていてビックリ目目

市役所の戸籍の係りの方に、「まえた」です。

「フリガナが間違っています。」もうやだ〜(悲しい顔)

と伝えたところ。

「間違っているわけがありません。exclamation×2

と言われた。がく〜(落胆した顔)

戸籍謄本等はフリガナがなかったと思うexclamation&question

お宅の誰かがフリガナを 「まえだ」と書かれたのでしょう。

「まえだ と書く人なんて一人もいません。

先祖代々 「まえた」です。」

「手書きから、機械を使うようになった時

入力した人が間違えたのだと思います。

訂正してください。」

と 言って 「まえた」にもどしてもらった。手(チョキ)

娘が幼稚園の時、

同じ御前道の 「まえたさん」のお友達は、

名札が(幼稚園なので ひらがな)

「まえださん」になっていた。がく〜(落胆した顔)

私のお弟子さんで、その子のおばさんに当たる方に

その話をしたら

「名前が まえだなんて、そんなことが・・・」目

そして小学校から 

「まえたさん」になった。わーい(嬉しい顔)

銀行等も、

「まえたです。 フリガナを間違えないでください。」

と言わないと

「まえだ」 にされる。もうやだ〜(悲しい顔)

前田にお嫁さんが来てムード

子供の名前を書くときのフリガナを

「まえだ」と 書いてしまうのだろう。がく〜(落胆した顔)

そういえば私も 自己紹介をするときに

「まえだ ではありません。 まえた です。・・・」

と言わなければ 

「まえださ〜ん」とずっと呼ばれる。演劇



話は、戻って

源平合戦の戦いで逃げ延びた足足足足

ご先祖様は、ぴかぴか(新しい)

飲まず食わずの「水飲み百姓」の生活をしていた。バッド(下向き矢印)

200年たって 生活が安定し

稗田八幡宮を創建したのだろうと

と思っていた。ひらめきわーい(嬉しい顔)

もう少し補足すると

平家の 人数合わせに借り出されたお百姓さんが

槍を持たされて、三角の帽子?をかぶり

「ヤァ〜〜!!」

って 

適当に 声を張り上げていた。わーい(嬉しい顔)

戦況が怪しくなり、数人で示し合せ

槍を

「ポイ!」って捨ててバッド(下向き矢印)

こっそり 山中へと脱走足足ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

戦いが終わるのをひたすら待った。黒ハート

戦いが終わり、草や木の根を食べながら

何とか生き延びたのが ご先祖様だろう。ひらめき

終わりわーい(嬉しい顔)

となる予定だった。わーい(嬉しい顔)

ところが目目ぴかぴか(新しい)

カラオケお話はつづきます。



posted by まぁみちゃん at 12:42| Comment(0) | 独り言