2015年08月25日

<出番を待つ花たち>

きょうは、これで二回目のアップ。わーい(嬉しい顔)

出番を待つ花たちの紹介です。かわいい

このコーナーわーい(嬉しい顔)

なかなかの評判グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)

なぜってexclamation&question

「アッひらめき この花 こんな名前だったexclamation×2

花の名前を覚えるのにわーい(嬉しい顔)

ちょうどいいのだそうです。

多すぎずグッド(上向き矢印)少なすぎず。バッド(下向き矢印)

いっぺんに紹介してもかわいいかわいいかわいい

覚えられませんからね。わーい(嬉しい顔)

それと

今週は、こんな花があるのなら と
 
いけ方を考えてこられる方もぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

では

花たちが待っています。揺れるハート

<リビストニア>DSC_1696.jpg


<ナツハゼ>DSC_1695.jpg


<ユキヤナギ>DSC_1694.jpg


<ケイトウ>
DSC_1693.jpg


〔グリーン ケイトウ>DSC_1692.jpg


<コニカル> ブラックDSC_1689.jpg


<ヘリコニア>DSC_1691.jpg


<ゴット>DSC_1690.jpg

まだまだたくさんの花たちが

待っています。ハートたち(複数ハート)

明日も紹介しますね。手(チョキ)手(チョキ)






















posted by まぁみちゃん at 14:27| Comment(0) | 日記

<ご先祖様> NO4

<ご先祖様>NO4

この稗田の地でも

戦いはあったのだろう。どんっ(衝撃)どんっ(衝撃)

ちょうど我が家のちょっと上に位置するところに

古い人骨がかなり出てきたとがく〜(落胆した顔)

当時子供で、遊んでいて

多くの人骨が出てきたのをはっきりと覚えていると目目

おじいさんは話してくれた。耳耳

やはり戦いがあったのだろうと思える。ひらめき

そして落人が 逃れた先は山の中足足

後の「御前道」ではないかとexclamation&questionexclamation&question


稗田八幡宮は、応永年間(1394〜1428年)に

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この地に奉遷されたらしい。

1185年頃に落人となって住み着いていれば

今から約800年前のことわーい(嬉しい顔)

稗田八幡宮を創建(今から600年前に創建)するまでには

約二〇〇年の年月がたっている

落ち延びてすぐは、

貧しい水飲み百姓生活もうやだ〜(悲しい顔)だったろうから無理というもの

200年位たてば神社を創建することもできたのではないかと思われる。ひらめき

うん〜〜exclamation&questionexclamation&questionわーい(嬉しい顔)




稗田八幡宮には「稲屋」(とうやと読む)がある。

その昔

坂荒神宮と御前堂荒神宮の氏子が、

稗田八幡宮を現在地に奉祀したという。

(ようするにご神体を運んできて

八幡様を建てたということ。)

その奉祀をした血筋が代々「稲屋屋敷」として

今でも受け継がれている。


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本殿には、宮司さん以外は入れないが

稲屋屋敷の家で男児が産まれると

出産した母親と稲子と呼ばれる男児だけは

旧暦7月29日に参入して、本殿内で祈願してもらえる。手(チョキ)

(この日をさかのぼること33日未満の場合は翌年になる)

そして生まれた男の子の子供の父親は、

稲屋日の一週間ほど前には、

本殿や境内を掃除!あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

勿論 掃き掃除も拭き掃除も。

(御苦労さまです。)わーい(嬉しい顔)

さらには本殿一周の右縄と左縄等のしめ縄を作る。

〇本殿外部を右縄で1巻、そして左縄で1巻の二本。

〇幣殿(絵馬の下)に三本

〇神饌所(しんせんじょ)に一本

〇拝殿入口に一本

〇向拝(わくぐりをするところ)に一本

最近のパパは、しめ縄が作れない。

そんな時には、作れるお爺さんにお願して作ってもらう。わーい(嬉しい顔)

お供え物も用意しなければならない。

祈願の日は、奥さんにお酒をついで・・・

当然、赤ちゃんは飲めないので

男の子を産んだ奥さんだけ手(チョキ)

そういえば 注いでもらって私も飲んだわわーい(嬉しい顔)

父親は、飲めない。もうやだ〜(悲しい顔)

(飲みたかっただろうに!残念でした〜〜)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)


秋祭りには、一番稲屋・二番稲屋・・・と 役割がある

稲屋が来ないと祭ができないそうだ。

「一番稲屋が来たぞ〜」耳耳

何て声がしてたわ。


祭の御神輿の道順

一番稲屋が、 

「そっちじゃなくてこっちに行こう!」

と言ったら

そっちに行かなければならない!

なぁ〜んてことも できるのだそうだ。

そんなことしないけれど


カラオケお話はつづきます。

posted by まぁみちゃん at 07:29| Comment(0) | 独り言

2015年08月24日

<ご先祖様> NO3

ご先祖様 NO3

今から約800年位昔

藤戸や屋島で源平合戦があった。どんっ(衝撃)どんっ(衝撃)

その時、追われた人が足足

山の中「後の御前道」に逃げ込んで、

そのまま住み着いたのではないかと思っていた。家

いわゆる落人。

源氏か平家のどちらかの?

追われていた平家かなぁ?

私のご先祖様わーい(嬉しい顔)

お墓参りを終えて

なぜかずっと

頭から離れなくなった。ぴかぴか(新しい)

いつもお墓参りをすると頭の中をよぎっていたが

今回は、ひつこいexclamation×2


源平合戦 藤戸の戦い

<平家 本陣跡>


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ちょっと 有名なお話を・・・カラオケ

源平合戦 藤戸の戦いが1184年に始まった。
(児島合戦とも言う)

今から831年前の出来事。

当時、藤戸に漁師の親子が住んでいました。

源平合戦が激化した時

源氏の武将に浅瀬の場所を聞かれた漁師の与助は、

浅瀬の場所を教えた。

さらに、「瀬踏み」(浅瀬に竹を立てて目印にした)までさせられた。

終わると、誰かに話されてはいけないと、

口封じの為に与助は、

あっさりと切り殺された。バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)

あとで与助を切った武将が

「佐々木」だということを知った母親が激怒ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)

「佐々木憎けりゃ 笹まで憎い。与助を返せexclamation×2

と言いながら生えていた笹をもうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)

血まみれになりながら全て引きちぎった。exclamation×2

それからというもの

裏山の笹は生えることはなかったという。

それで「笹無山」と言われるようになったという

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有名なお話。

※源氏は船がなかったため 浅瀬を渡ることでしか戦えなかったのだろう。

この赤い橋 

コーヒーを買いに

「パワープラント」さんへ行くときに通る橋。

佐々木 盛綱が浅瀬を渡っているところかなぁ

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下電バスに乗ると
バス カラオケ「次は 笹無山〜 笹無山〜〜」とうバス停がある。


<笹無山>


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<乗り出し岩>


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そして一年後

1185年 源平合戦〜屋島の戦いむかっ(怒り)

那須与一が 揺れる小舟の扇の的に

矢を放ったお話はあまりにも有名。

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(そういえば下津井には「那須」の苗字が多い。)

どちらにしてもこの地で 戦いがあったのは事実。

藤戸にある 第45番遍照院(同市藤戸町天城)は

岡山藩家老の池田氏陣屋町の中にある。

「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助良雄の母親は「熊子」

天城池田氏2代由成の6女で大石家に嫁いだ熊子なのだそうだ。

嫁ぎ先の兵庫県赤穂から、実家のあった今の倉敷市藤戸町天城に

何度か帰っていたことを裏付ける古文書が見付かったと目目

毎日新聞に載っていたという。


話が飛んでいってしまった。わーい(嬉しい顔)

話はもどって


自宅すぐ近くに

6〇年位前頃にできた市営だったか県営住宅だったか?

当時工事をしていたのを見ていた 目目

おじいさんから話を聞いたことがある。耳耳

工事中、人骨がたくさん出てきたとがく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)

(昔の人が魔筋と呼んでいた一帯もある)


カラオケお話はつづきます。


posted by まぁみちゃん at 08:28| Comment(0) | 独り言