2015年08月24日

<ご先祖様> NO3

ご先祖様 NO3

今から約800年位昔

藤戸や屋島で源平合戦があった。どんっ(衝撃)どんっ(衝撃)

その時、追われた人が足足

山の中「後の御前道」に逃げ込んで、

そのまま住み着いたのではないかと思っていた。家

いわゆる落人。

源氏か平家のどちらかの?

追われていた平家かなぁ?

私のご先祖様わーい(嬉しい顔)

お墓参りを終えて

なぜかずっと

頭から離れなくなった。ぴかぴか(新しい)

いつもお墓参りをすると頭の中をよぎっていたが

今回は、ひつこいexclamation×2


源平合戦 藤戸の戦い

<平家 本陣跡>


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ちょっと 有名なお話を・・・カラオケ

源平合戦 藤戸の戦いが1184年に始まった。
(児島合戦とも言う)

今から831年前の出来事。

当時、藤戸に漁師の親子が住んでいました。

源平合戦が激化した時

源氏の武将に浅瀬の場所を聞かれた漁師の与助は、

浅瀬の場所を教えた。

さらに、「瀬踏み」(浅瀬に竹を立てて目印にした)までさせられた。

終わると、誰かに話されてはいけないと、

口封じの為に与助は、

あっさりと切り殺された。バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)

あとで与助を切った武将が

「佐々木」だということを知った母親が激怒ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)

「佐々木憎けりゃ 笹まで憎い。与助を返せexclamation×2

と言いながら生えていた笹をもうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)

血まみれになりながら全て引きちぎった。exclamation×2

それからというもの

裏山の笹は生えることはなかったという。

それで「笹無山」と言われるようになったという

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有名なお話。

※源氏は船がなかったため 浅瀬を渡ることでしか戦えなかったのだろう。

この赤い橋 

コーヒーを買いに

「パワープラント」さんへ行くときに通る橋。

佐々木 盛綱が浅瀬を渡っているところかなぁ

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下電バスに乗ると
バス カラオケ「次は 笹無山〜 笹無山〜〜」とうバス停がある。


<笹無山>


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<乗り出し岩>


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そして一年後

1185年 源平合戦〜屋島の戦いむかっ(怒り)

那須与一が 揺れる小舟の扇の的に

矢を放ったお話はあまりにも有名。

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(そういえば下津井には「那須」の苗字が多い。)

どちらにしてもこの地で 戦いがあったのは事実。

藤戸にある 第45番遍照院(同市藤戸町天城)は

岡山藩家老の池田氏陣屋町の中にある。

「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助良雄の母親は「熊子」

天城池田氏2代由成の6女で大石家に嫁いだ熊子なのだそうだ。

嫁ぎ先の兵庫県赤穂から、実家のあった今の倉敷市藤戸町天城に

何度か帰っていたことを裏付ける古文書が見付かったと目目

毎日新聞に載っていたという。


話が飛んでいってしまった。わーい(嬉しい顔)

話はもどって


自宅すぐ近くに

6〇年位前頃にできた市営だったか県営住宅だったか?

当時工事をしていたのを見ていた 目目

おじいさんから話を聞いたことがある。耳耳

工事中、人骨がたくさん出てきたとがく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)

(昔の人が魔筋と呼んでいた一帯もある)


カラオケお話はつづきます。


posted by まぁみちゃん at 08:28| Comment(0) | 独り言