2015年09月14日

<ご先祖様>NO17

<ご先祖様> NO17

「新米」を買いに毎年行く車(セダン)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

新見の山奥

民家は、まばら家

きれいな水ときれいな空気グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)

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生活排水なんて無縁な

きれいな川が流れている。

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一番奥にあるので 当然と言えば当然

そこまで行く道は

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車が来たらどうしょうか・・・

対向車があればどちらかかなりバックしなければならない

でも、心配はいらないexclamation手(チョキ)

対向車は車(RV)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

ほとんど来ない。わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

(買ってきたお米〜貯蔵庫にいれた)

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お米を買って

千屋温泉へいい気分(温泉)いい気分(温泉)

千屋ダムもあった
放水されていた。

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下湯原温泉へもいい気分(温泉)

途中

後醍醐天皇が 休んだと言われる

「休石」があった。

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第96代後醍醐天皇は 鎌倉幕府討幕の為

笠置で幕府軍と衝突したが敗北し執権、

北条高時に捕らえられ、元弘二年(1332年)3月7日

京都を進発、美作から備中そして

旧阿哲郡大佐町大井野を通過、

市倉峠を越え、入野(現在の井原)にいたり

落合より当地 花見へ到着

この大石に神輿をやすめ休息された。

天皇は、さらに北上、明智峠をこされ

伯耆路に入られ 4月1日

隠岐の島へ流配された。

天皇を偲び毎年旧暦9月15日、後醍醐神社の祭として

執行し今日に及んでいる。

こんなことが書いてあった。


足足3月7日に京都を出発して

この地についたのが 9月15日だったのだろうか?がく〜(落胆した顔)

そして、4月1日に隠岐の島到着。

一年以上もかかったことになる。足足

児島高徳は、 備前市三石船坂山に潜伏し後醍醐天皇の

護送行列を待ったけれど 行列は播麿から美作国を進んだ。

それではと

美作国の杉下峠に変更しようと 道を急いだけれど足足ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

通過した後で 天皇を奪い返すことはできなかった。もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)

山に隠れて潜伏しなければ

天皇の護衛が多くて太刀打ちできなかったようだ。

山に隠れるとなると

「蜘蛛の巣があった!」がく〜(落胆した顔)

「虫がいる!」もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)

「蚊が刺した!」ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)

「ヘビが出た!」がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)

なんて大騒ぎしそうパンチパンチ

私には、到底30分でも辛抱できそうにない。時計バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)

児島高徳は、天皇の宿泊先の

津山にある院庄の館に忍び込み

桜の木を削って 漢詩を書いた。

天(てん)勾銭(こうせん)を空(むな)しゅうする莫(なか)れ
時(とき)范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず


なんのこっちやexclamation&questionexclamation&question

この意味を理解できたのは天皇だけひらめき

後に、このことが文部省唱歌になって唄われている。カラオケ

「児島高徳」という 文部省唱歌。

大正3年〜昭和7年まで唄われていたそうだ。カラオケ

ひらめきそういえば母が唄ってくれていたような気がする。

勿論私は 歌ったことがないのに

なぜか?所々歌える。カラオケわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

大正9年生まれの父と母。

児島高徳を先祖に持つ人は計り知れないと思う。

古文書が見つかったおかげで目目

歴史に興味を持った。ハートたち(複数ハート)

佐々木三郎盛綱も児島高徳(備後三郎高徳)

そして、 後醍醐天皇にも

カラオケお話はつづきます。

<古文書>

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posted by まぁみちゃん at 09:20| Comment(0) | 独り言